1 日本における調停に関するシンガポール条約の発効
日本は、2023年10月1日、調停による国際的な和解合意に関する国際連合条約(調停に関するシンガポール条約)の加入書を国連事務総長に寄託し、同条約の12か国目の締約国となりました。同条約は、2024年4月1日より日本において効力を生じています。本記事執筆時点(2024年12月9日)で、57か国が署名し、14か国が批准しています。
2 調停に関するシンガポール条約に関する日本の特徴
調停に関するシンガポール条約は、国際調停により成立した和解合意について執行力を与えることを目的とするものです。本条約ができる前、国際調停は、当事者間で和解合意ができたとしても、一方当事者がこれを任意に履行しない場合、これを強制的に実現する術がありませんでした。このような問題意識を踏まえ、調停に関するシンガポール条約は、一定の要件を満たした場合、締約国において和解合意の強制執行ができるよう枠組みを整えました。日本による同条約の締結には、他の締結国と比較して次の2つの特徴があります。
(1)「加入」という手法を取ったこと
多数国間条約は、条約文の採択と交渉参加国の署名により確定します。当該条約について、国家機関が条約に拘束されることへの同意を表示するのが「批准」という手続きです。これに対し、条約交渉に参加していなかったり、署名をしなかった国が後に同意を表明する手続きを「加入」といいます。日本は、他の締約国のような署名+批准という2ステップでなく、加入という1ステップを取りました。この理由は、日本は署名をする前に、調停に関するシンガポール条約を締結すべきか、締結するとしたら日本国内の調停合意にも同様に強制執行力を与えるべきではないか、オプトインの留保(後述)をすべきか等を慎重に考慮したためではないかと考えられます。
(2)「オプトインの留保」をしたこと
実務上より重要なのは、日本が調停に関するシンガポール条約の締結に際しオプトインの留保をしたということです。オプトインの留保とは、和解合意の当事者が調停に関するシンガポール条約の適用に合意した場合にのみこの条約を適用することです(調停に関するシンガポール条約第8条1項(b))。例えば、日本企業J社とスリランカ企業S社が国際調停を行い、S社がJ社に対し500,000USドルを支払う内容の和解合意をした、という事例を考えてみましょう。日本とスリランカはいずれも調停に関するシンガポール条約の締結国ですが、日本はオプトインの留保をしており、スリランカはこれをしていません。スリランカは同条約をオプトインの留保なく批准しているため、J社は必要があれば和解合意に基づきスリランカ国内にあるS社の資産を強制執行することができます。他方、S社が日本国内にも資産を有しておりこの資産を強制執行したいという場合、日本はオプトインの留保をしているため、当事者がオプトインをしないと日本国内に所在する資産は強制執行できません。したがって、J社の立場では、S社が日本国内に資産を保有しており、これを強制執行したい可能性があるのであれば、和解合意の中でオプトインしておく必要があります。このように、オプトインをするか否かは、相手企業の国籍や強制執行の対象となる可能性のある資産の場所等により変わり得るもので、一定の高度な法的判断が必要となるため、担当する弁護士が的確に分析の上クライアントにアドバイスをすべきです。
3 調停による国際的な和解合意に関する国際連合条約の実施に関する法律
日本では、条約の承認について国会審議するのと並行して、条約を国内秩序に受け入れるための国内法の整備についても国会審議するのが一般的です。調停に関するシンガポール条約については、同条約の締結に合わせ、同条約を国内で実施するための新法である「調停による国際的な和解合意に関する国際連合条約の実施に関する法律」が制定されました。同法は、日本における調停に関するシンガポール条約の国内での効力発生日と同一の2024年4月1日から施行されています。この法律のより詳しい解説は
過去のコラムのとおりですが、この法律の施行により、日本国内では、所定の要件を満たした場合国際的な和解合意がスムーズに執行されることが確保されています。
4 振り返りと今後の展望
2024年は日本における調停に関するシンガポール条約の効力発生及び実施法の施行があったため、国際調停の活性化において非常に重要な一年となりました。私自身も国際会議や各種講演等でシンガポール条約や国際調停についてお話をする機会をいただき、企業や法曹の皆様の関心が高まっていることを身をもって感じました。調停に関するシンガポール条約については、ほとんど使われていないということを指摘されることもありますが、国際調停における和解合意は当事者が任意で行うものであり、大半のケースでは、和解合意は任意に履行されます。調停に関するシンガポール条約があまり使われない状況というのは、国際調停のあるべき姿であり、当事者が納得の上和解合意をしていることの証左であるともいえます。調停に関するシンガポール条約は、それがもたらす執行力もさることながら、当事者に対し国際調停に関する安心感を与えることに大きな効果があると考えます。
このように、国際調停に関する関心は高まっていますが、日本企業による国際調停の利用についてはまだまだ伸びしろがあるように思えます。私が日本代表を務めるシンガポール国際調停センターでは、日本の当事者による利用は全体の3.4%となっており(2014年から2023年までの統計)トップ10には入っているものの、中国の16.5%、アメリカの7.3%、韓国の4.3%などと比較するとその経済規模も踏まえれば特段大きいとはいえません。今後は、日本企業及び実務家の皆様に国際調停の利用価値をよりご理解いただくための活動が必要であろうと考えています。
5 JIMC-SIMCジョイントプロトコル
最後に、日本企業にとって非常に使い勝手のよい国際調停の手法を一つご紹介したいと思います。JIMC-SIMCジョイントプロトコルは、日本の国際調停機関である京都国際調停センターとシンガポール国際調停センターが共同で提供する国際調停の手続きです。国際調停は通常1名の調停人を選任しますが、このプロトコルのもとでは、各センターが1名の調停人を選任し、合計2人の調停人が紛争解決を促進します。例えば、上記の日本企業J社とスリランカ企業S社の事例の場合、日本人の調停人とスリランカ人の調停人を1人ずつ選任することも可能となり、日本企業としては、日本人の調停人とは日本語で意思疎通ができ、日本の文化や商慣習を理解している調停人に紛争解決を委ねられることで安心感が大きく高まります。更に、国際調停機関に支払う管理費用はリーズナブルに設定されているので、中小企業や係争額の大きくない紛争での利用にも適しています。